この教会は気に入っている。丘の上という立地条件からか、それとも教会という建物のせいからか、ここにはあまり人は来ず、喧騒とは無縁なのが良い。

 街の中を歩き、雑種の好奇の目に晒されるのはまだ良い。そんなものはとうに慣れている。だが、雑種に話しかけられるのは我慢がならん。

 だから我は人のいない礼拝堂の椅子に腰掛け、時が流れるに身を任せている。

 目的を果たすには不本意ながらも待たなくてはならぬ。

 

「アーチャー、少しいいか?」

 そうしてどれほどの時間が流れたか、人の気配に片目を開くと言峰が奥からやってきていた。

「どうした言峰。声をかけてくるなど珍しい」

 我は浅いとはいえ眠りを邪魔された不機嫌半分、声をかけてきたことへの興味半分で言葉を返す。

「うむ、魔力の供給に関しては次までアレで持つだろう。だが聖杯の中身を飲んでしまい受肉したサーヴァントに食事は必要なのかと思ってな」

 ふむ、と我は思考を走らせる。次いで英霊となってからはとうに忘れていた感覚を思い出す。

「特別に必要はない。だが、あって困るものでもない。

 そもそもに我は女と食事には、出し惜しみをしない主義だ。気の向くままに奪い、食すのみ」

 ふと、ただ無為に目的の時がやってくるまで待つよりは、肉を得たのだからその間第二の人生を謳歌するのも悪くはないかも知れぬ。

「ふむ。ならば外で食事をしないか?」

 あろうことか言峰はそんなことを言い出した。

「我に雑種の作ったものを食べろと?」

「いやなに、中々に気に入った店があってな。そもそも料理人を否定しては自分で作るしかなくなるうえ、向こうもプロだ。下手なものは出さん」

 ふむ、確かにその通りだ。王たる我に厨房に立てなど万死に値する。

「仕方ない。雑種の作るもので我慢しよう」

 我は腰掛けていた椅子からゆっくりと身を起こし、自分の服装を見下ろしてから教会を出た。

 教会を出て、言峰の隣を歩く。目的の場所は深山という川を隔てた先の町にあるらしい。距離があるために歩けば時間がかかるのだが、公共交通機関とやらで雑種と席を同じにするくらいであれば歩くほうがいい。

 お互い何を話すこともなく、橋を渡り、道を行き、店が立ち並ぶ商店街という場所で言峰は足を止めた。

「ここだ」

 その店は何かが威容だった。

 紅洲宴歳館、泰山。と看板には書かれている。

 昼という時間なのに窓は閉められ、中に人がいるかどうかの判断も出来ぬ。「営業中」とだされているからには開いているのだろう。だが、入るのは躊躇われる。

 そんな我の心情を知る由も無く、言峰は店の中へと足を踏み入れる。ここで退くのは我のプライドが許さぬ。何を覚悟しているのか分からぬが、覚悟を決めて我も店へと足を踏み入れた。

 

 店の中はいたって普通と言えた。装飾は特に無く、落ち着いた内装と言われるのだろうが我には物足りぬ。気に入るような店を探すのも一興、といったところか。

 言峰は水の入ったコップを二つテーブルに置いた。セルフというやつらしい。注文はもう終わらせたらしく、言峰はいつの間にか持ってきていた新聞を広げた。

 どの名前がどんなものかも知らぬから、任せればよいか。それに、わざわざ連れてきたのだ。よもや食えぬようなものを出すわけがなかろう。

 そう思い込み、我は水にちびりと口をつけた。

 

「マーボードーフおまたせアルー!」

 清潔な料理服を着た背の小さな女がテーブルの上に、ごとんごととんと料理を置いていった。

 そのマーボードーフと呼ばれた料理は一見異様だった。

 赤い。これでもか言うほどに赤い。魔女の釜という物の中身が赤かったならこのような色であろうと思うほどに赤い。これは危険だと、本能が警鐘を鳴らす。これを口にしては何かが壊れると、そう頭の中で鳴り響く。

 どう考えても人の食うものとは思えぬ。

「どうした、食べないのか」

 言葉を投げかけられ正面を向くと、言峰が陶器のスプーンを手にマーボードーフをすさまじい勢いで食べ始めた。

 額に滲む汗を拭うこともせず、水を飲むことも無く、その腕を止めてしまえば二度と動ごかぬと、それほどの気迫を感じるほどに言峰は陶器のスプーンで料理を掬っては口に運び続ける。

 まさか美味いのか。見た目が悪いだけで実は中身はそうではないのかと。

 我は陶器のスプーンを手に取り、その料理を口に運んだ。

 

 …何かが見えた気がする。

 

 何というか、痛い。辛いを通り過ぎて痛い。舌に針を刺すとか、そのようなレベルだ。

 こんなものがあっていいのかと、やばい量の香辛料の入ってるとしか思えぬ料理があっていいのかと。中世では香辛料は貴重で、それらを使った料理は贅沢だったとあるが、こんなものが本当に贅沢なのかと。そう思わされる料理だ。

 言峰の器を見れば、もう半分ほどを食していた。

 ありえぬ、と我は思う。そう、ありえぬ。この英雄王が料理ごときに屈するなど…あってはならぬ。

 我は陶器のスプーンを握りなおし、目の前の料理に再度挑みだした。

 

 かちゃん、と陶器同士が触れ合い音を奏でる。

 我の前にあった魔女の釜のようなマーボードーフは全て食した。舌はとうに麻痺し、喉は鉛を呑まされたかのように焼け付き、胃にいたっては送り込まれたものを拒絶するかのように暴れている。しかし、それでも我は勝利したのだ。

「アーチャー、大丈夫か?」

「ふ、ふん。当然だ。我を潰したければ今の3倍は持ってこいというのだ」

 実は満身創痍なのだが、そうと悟られるのは我のプライドが許さぬ。

「そうか。いや安心した」

「?」

 言峰の言葉の意味を悟る前に

「追加のマーボードーフ、おまたせアルー!」

 そうして第2第3のマーボードーフがテーブルの上へと置かれた。

 まさか、と我は目と耳を疑った。よもや最初から御代わりを頼んでいるなど誰が予測しよう。

 言峰は陶器のスプーンを構え、我は目の前が暗くなってゆくのを感じる。

 薄れ行く意識の中で我は、もう二度とマーボーは食わぬ。と心に誓い、意識は闇へと落ちていった。