タイガに忠告をしてシロウを笑顔で見送ってから、わたしは身を翻す。 留守番、といっても特にはすることもなかったりする。朝食の片付けはすでに済ませてあるし、シロウはタイガと違ってちゃんと掃除をするから特別に必要じゃないし…。 居間に考えながら戻ると塀の外からぶろろろぎゃいーん、と排気音が聞こえてきた。 ロケットダイバーとか、人間ジェットコースターとか、タイガもよくそんないろいろ異名を持てるものね、と少し関心してみる。
手持ち無沙汰で居間に座っておとなしく留守番をしようと思っていると、あふ…と欠伸が漏れた。 眠気を抑えるなどの体調管理は簡単にできるのだけれど、タイガと一緒に暮らしだしてからはあまりそういうことはしないように心がけている。 ライガ曰く「寝る子は育つ。じゃから夜はちゃんと寝るのじゃ」とか。 今日は少し早起きをしたからか、それとも疲れがちょっと溜まってたか、春の陽気にあてられたからか…理由は分からないけど、ちょっと眠たいかな。 どこで少し横になろうと思って、思いついた場所はひとつ。 シロウの部屋。 わたしはそこにしようと決めて、軽やかにステップを踏むようにそこに向かった。
シロウの部屋の前の縁側。そこに一匹の猫が丸まって眠ってた。 わたしが近寄っても起きる気配もない。どこかの飼い猫かな、と思う。 その猫の横に座って、ちょっと観察。 「気持ち良さそうね」 これ以上に幸せなことなんてない、と思わせるような猫の睡眠。 毛並みが綺麗…。そう思って猫の背を恐る恐る撫でようとすると、猫が目を覚ましてのそりと身を起こす。 「ごめん、起こしちゃったみたいね」 猫相手に何を言ってるのだろうと、わたしは自分の行動がおかしくてちょっと笑う。 猫はわたしのことなんて知らん顔で伸びをすると… あろうことかわたしの膝の上に乗ってきた。 「え、ええっ?」 わたしの戸惑いをよそに猫は膝の上で丸まって再度眠りだす。これじゃあ動けない。 やっぱり誰かの飼い猫なんでしょうね、と猫の背を撫でてみるが反応なし。 「あーあ、シロウの部屋はいけないわけね」 少し残念に思いながらも、さくらに見つかったときのことを考えると諦める選択も賢いかもしれない。 まあ、この縁側もぽかぽか暖かいし、猫と一緒に睡眠というのも貴重な経験かな。 同じ猫科でも可愛げのないのもいるけれど。とわたしはタイガを思い浮かべた。 半泣きのタイガの顔を思い浮かべ、わたしは柱に肩を預ける。 目を閉じると、睡魔はすぐに訪れた。
よいしょと、誰かがわたしの横に腰を下ろす。その気配でわたしは目を覚ました。 「ああ、起こしてしまったみたいだね」 その人はわたしにそう言ってから庭の方を眺めだした。当然知らない人。まあ、敵意はないみたいだから悪い人じゃないと推測。 「シロウのお客さんかしら?」 「うん。いくら呼んでも返事がなかったから勝手に上がらせてもらったよ」 ああ、それじゃ留守番の意味がないじゃない。とわたしはため息をついた。 「シロウは学校よ。早く帰ってくるらしいから、用事があれば待ってるといいわ」 「じゃあお言葉に甘えて、といいたいところなんだけど。僕も忙しくてね、もう少ししたら出て行かないといけないんだ」 そう言って、その人は軽く腰を浮かせる。どうやら靴を履いたままここに腰を下ろしていたみたい。 「じゃあ何か伝えておきたい言葉はある? それくらいは聞いておかないと留守番の意味が本当になくなってしまうわ」 「うーん。そうだね…」 その人は悩みながら少し庭をうろうろとし、考えを纏めてわたしの方を向く。と、何かいきなり微笑みを浮かべた。何か懐かしいものでも見つけたような、そんな微笑み。 「わたしの顔になにかついているかしら?」 「いやいや、そういうわけじゃないんだ。少し昔の知り合いに似ていてね」 両手をばたばたと振って否定し、表情を引き締めるためか顔を手のひらで少しおさえる。まあ、その手を離してもやっぱりちょっと微笑んでいたわけだけど。 「士郎には…そうだね。夢をかなえようと頑張るのもいいけど、もっと自分を大切にして欲しいと伝えておいてくれるかな」 「ええ、わかったわ。確かにシロウは自分に対して疎かというか、自分自身をないがしろにするところがあるから」 言ってしまえば自分というのは秤にかけることはできない。言ってしまえば秤そのもの。けれど、シロウはその秤を壊してでも他人を助けようとする。 酷く、歪な生き方。 「さて、僕はそろそろ行くとするけど…」 その人はいつの間にか長いコートを羽織り、ポケットに手を突っ込んでいた。もう暖かな春だというのにその格好だと少し暑いと思う。 「まだ、何かあるかしら?」 「君の名前を聞いておいてもいいかな?」 問うたわたしにその人はそんなことを言ってきた。 「んー、イリヤよ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」 「じゃあ、イリヤ。危なっかしい士郎のことをこれからもよろしく頼むよ」 「ええ、言われなくてもそのつもりよ。それに、シロウを危なっかしく思っているのはわたしだけでもないわ」 リンも、さくらも、タイガも、シロウのことを気にかけて手助けしてくれると思う。 「ああ、それなら安心だ」 と穏やかな笑みを浮かべて、その人は去っていく。 「そういえば、まだ名前を聞いてないわ」 去っていく背中に言葉を投げかける。その人は肩越しにこちらを振り返り 「そういえばそうだったね。僕の名前は――」
そして、不意に、世界は崩れだした。
いつの間にかわたしは濃いもやのかかったような場所に立っている。 別に何ということでもなく 「単なる、夢…ね」 思考が言葉となって漏れ出る。そもそもに言葉というものは夢の中では意味を成さない。だからその思考も間違ってる。 夢は深層心理や願望を表すとか、言われてたような気がする。だったらこの場合のわたしの望みは…。 ほんの少しそんなことを考えて思考を断ち切る。 さ、これが夢ならもう目覚めよう。ここは一時の幻。ずっとここにいるわけにはいかないのだから。
ぼんやりとわたしの意識が覚醒するのと、膝に何かがかけられるのはほぼ同時だった。 「あれ、起きちゃったか」 すぐ近くでシロウの声がする。わたしはごしごしと目をこする。 少しの間だけ寝るつもりだったけど、深い眠りについていたみたい。 「暖かいからってそんな風に寝てたら風邪引くかもしれないから、タオルケットくらいは膝にかけること」 「うん、ありがと。シロウ」 わたしは膝にかけられたタオルケットをたたんで立ち上がる。 「まあ、起きたんだったら昼飯の準備してるから手伝ってもらえると嬉しい。本当は出来たら起こすつもりだったんだけど…」 「気にしなくていいわ、シロウ。ご飯を食べさせてもらってるんだから手伝うのは当然よ」 「うん、そういってもらえるとありがたい」 先を歩くシロウの後ろをわたしは歩き、ふと縁側の庭を振り返る。 何故? と聞かれても、何となく。としか答えれないけれど、わたしは一度庭を見渡してからシロウを追いかけた。 |