朝。空を見上げると晴天だった。

 沈んだ気持ちが晴れるほどに青い空。

 今日もまた暑くなるだろうなぁと思いながら学校へ。

 

 昼を回った辺りから雲行きが怪しくなってきた。

 遠雷の音が響いてくる。

 空を見上げるが、うっすらと雲が出ている程度。

 けれどこんな風に遠雷の音が聞こえたときは大抵にわか雨が降る。

 帰るまでに天気持つかな、などと淡い希望を抱く。

 

 そして放課後…

 

 ざあざあと、雨が降っている。

 ほんの少しまでは遠雷の音だけで晴れていたのだが、堰を切ったように降り出した。

 雷も落ちているようで、薄暗い空が何度も光り、そのたびにきゃあきゃあと誰かの悲鳴が上がる。

「まったく、あの朝の天気で何人が傘を持ってきてるって言うんだい?」

 慎二が肩をすくめながらぼやく。

「俺は持ってるけどな。折り畳みだからかさばらないし」

 というか、この時期は念のために常に仕込んである。備えあれば憂いなしっていうしな。

「さすが衛宮。持つべきは友だね」

「でも、慎二なら傘に入れてくれる女子いっぱいいるんじゃないか?」

「ああ、それもそうだね。じゃあちょっと行ってくるよ」

 そう言い残して慎二は教室を出ていった。

「騒がしいことだな、あいつも」

 やれやれと近くで見ていた一成が息を吐く。

「一成は傘持ってきてるのか?」

「そのようなもの生徒会室にいけばいくらでもおいてある」

 はん、とつまらなそうに言い捨てる。

「忘れ物?」

「うむ、安っぽいビニール傘がごまんと。いっそのこと雨の日に貸し出すのもいいかもしれんな」

 どうせ処分されるのだ、使ってやった方が傘のためだろう。と一成は言う。

「まあ、そんなわけで傘の心配は無用。それで衛宮は帰らないのか?」

「ああ、もう少し雨を眺めて帰るよ」

「ふむ、ではな」

 一成を見送り、俺はぼんやりと窓の外を眺める。

 どうせにわか雨だろうし、急ぐ用もないから少し雨足が弱まるまで待とうと思っていただけ。

 そう思っていたのだけれど…ふと視界の中に青いレインコートを着た人物が学校に向かってきているのが見えた。

 周りの学生と比べても小柄、それでいてか弱い印象はまったくない。そしてその手には傘が握られているように見えた。

 俺は少し嫌な予感がして教室を出た。

 いやまあ、単なる思い過ごしなんだろうけど…。

 

「あれ? 士郎まだ残ってたの?」

 昇降口に降りる途中、遠坂とばったりでくわした。

「遠坂こそ。今日傘忘れたのか?」

「う…。仕方ないじゃない。あんなに晴れてるんだからまさか降るとは思わなかったんだし」

 放課後で人も少ないからか、素の遠坂は頬を膨らませる。

「で、雨が止むまで学校に残る…と?」

「できることならそうしたいわね、濡れたくないし。そういう士郎は持ってきてるの?」

「ああ。折り畳みだけど」

「じゃあ入れてってくれない? 急ぐ必要はないけど、早く帰れるに越した事はないし」

「いいぞ。それより遠坂、セイバーは今どうしてると思う?」

「セイバー? 家でいると思うわよ。いくらなんでもこの雨だし」

 そうなると遠坂は関与してないわけで…。考えすぎか。

「でもどうしてそんなこと聞くの?」

「いや、青いレインコート着て傘持ってる子が学校の方に向かってきてたからさ。もしかしたら遠坂がセイバー呼んだんじゃないかなーって」

「そんな使いっぱしり見たいな真似をセイバーにさせるわけないじゃない。顔も見えてないんだったら考えすぎよ」

「だよな」

 会話を切り、遠坂と二人昇降口まで歩いていく。

 昇降口まで降りるとなにやら出入り口の辺りが妙に騒がしかった。

 なにやら誰かを中心に大勢で取り囲んでいるようだけど…まあ、険呑な雰囲気はないから暴力沙汰とかではないようだ。

 ざっとみて取り囲んでいるのは男子が多いみたいで、どうやら聞こえてくる内容から判断すれば取り囲まれているのは女子らしい。

 遠坂はその人だかりに興味がないのか、さっさと靴を履き替えている。

 俺も様子を眺めながら靴を履き替える。

「遠坂、なんであんな人だかりが出来てると思う?」

「さあ? みんな暇なんでしょ」

 遠坂は見も蓋もないことを言う。

 とはいえ、傘を忘れたやつらは帰るに帰れず確かに暇だろう。何人かは鞄を傘にダッシュで帰っている奴もいるけどごく少数だ。そんな状況でなにか暇を潰す手段があれば些細なことでも関わるのかもしれない。

 俺は折り畳みの傘を鞄から出そうとして、その手を止めた。

 人だかりで何か動きがあったようで何人かが道をあけていたからだ。

 人だかりに混ざる気はないけど、中心人物がどんな人なのか興味があった。

 人だかりからでてきたのは青いレインコートを着た小柄な人物だった。手には傘。教室で俺が見かけた人と同じ人物。

「ああよかった。まだ残ってましたか」

 その口からすべりでた声は俺や遠坂は聞きなれた声だった。

「「セイバー?!」」

 俺と遠坂の声が重なる。

「私が、私以外の誰かに見えるのですか? 二人は」

 そういいながらレインコートの人物はフードを下ろす。紛れもなくセイバーだ。

「でもどうしてセイバーが…って傘届けに着たのか?」

 俺はセイバーが持っている傘に視線を移す。

「ええ、凛が傘を持っていっていなかったので立ち往生してるだろうと思って」

 ああ、まさに使い魔の鏡だな。セイバーは。けど英霊たるサーヴァントに、しかもその中でも超一級のセイバーにこんなことをしてもらっていいのか…?

 案の定、遠坂は頭痛を抑えるかのように額に手を当てている。

 しばらくそうした後、ため息を吐いてじろりとセイバーをにらみつける。

「まったく、忘れた私が悪いんだからわざわざ届けなくてもいいのに。第一行き違いになったらどうする気だったのよ」

「私が届けたかったからいいのです。それに凛は寄り道をしないので行き違いになる可能性は極めて低い」

 そんな風に言われると遠坂としては何も言えないだろうな…。

 案の定、遠坂は渋い顔をしているけれど何も言い返せないようだ。

「ところで、シロウの分の傘は持ってきてませんけど大丈夫ですか?」

「ああ、俺は折り畳みを持ってきてるから大丈夫だぞ」

「それはよかった」

 ほっと胸を撫で下ろすセイバー。

「じゃあ、帰ろうか」

 そうして折り畳み傘を鞄から出そうとして、遠坂にその腕を掴まれた。

「…はい?」

 どうして遠坂が俺に傘を出させないように腕を掴んでいるのかがわからない。

「どうせ帰る場所は同じなんだからひとつの傘でいいでしょ」

 そういう遠坂の顔は微笑んでいる。けれどこれは悪魔の微笑だ。逆らえば何が起こるかわかったものじゃない。

 実際に俺の腕を掴む遠坂の力が徐々に強くなっている。

 俺は不承不承頷いた。

 

 多少弱くなった雨の中、俺と遠坂は一つの傘で肩を触れ合わせながら家路を歩く。

 セイバーは微笑を張り付かせたまま少し離れてついてきている。

「でも、なんで一つの傘で帰らなきゃいけないんだ? 俺はちゃんと持ってるからその方が濡れずにすむと思うんだけど…」

 俺の疑問にむぅー、っとにらんできた後に遠坂はそっぽを向く。

 そんな様子に俺はさらに首を傾げる。

「いいじゃない、一度やってみたかったんだから」

 しばらく歩いてからぼそぼそとそんな呟きが聞こえてきた。

 ああ、それで納得できた。けどな遠坂、学校帰りの時にやるのはもう勘弁してくれ。何だかんだ言っても遠坂は学校のアイドルなんだから明日の我が身が心配になる。

 まあ、そんな心配するのが贅沢なんだろうな…。

 そう思いながら刺すような視線を黙殺つつ少しだけ早足で家へ向かった。