エリンディル。

 どこかにある世界のそう呼ばれる大陸。

 姿形の異なるさまざまな種族が暮らし、魔術と呼ばれる力が行使され、荒野には危険な獣などの魔物が潜む―そんな不思議な世界。

 そんなエリンディルには冒険者と呼ばれる特殊な職業についている者たちがいる。

 あるものは生活の糧を得るために、あるものは興味本位で、あるものは夢や浪漫を追い求めて…。

 理由も目的もそしてその仕事すらも様々な冒険者。

 そんな冒険者達が多く集う街、遺跡の街ライン。

 かつて冒険者によって解放され、現在は冒険者によって成り立っている街。その所以からか、冒険者の街と呼ばれることも多い。

 そんな街の一角にいる、まだ名も知られていない集団。

 そんな冒険者達のお話…。

 

 街の一角にある酒場兼宿屋。『憩いの羊亭』  昼食には少し遅く、ティータイムには少し早い微妙な時間。エプロンドレスに身を包んだ給仕と思しき女性が手際よく店の中を掃除していく。

 昼の喧騒はどこへやら、この時間は静かなもので客も一人もいない。

 女性は鼻歌混じりに木製の頑丈そうな机を拭いて回っていて、厨房では料理人というには少し体格がよすぎる中年の親父が仕込みをしていた。

 その『憩いの羊亭』の入り口を押し開いて5人の客が入ってくる。

「あ、おかえりなさい」

 女性は笑顔で挨拶した後、掃除を切り上げて厨房の方へ入っていく。

 客はこの宿を借りている冒険者で、かなりの間ここを利用している。パッと見てエルダナーンとわかるアルヴィンスとオリヴィエ。ヒューリンのリュミス。巫女服を着た澄霞。ヴァーナで兎族(アウリラと呼ばれる)のサラ。それと本来ならばあと一人ヒューリンがいる。

「親父、エールとつまみの豆だ」

 オリヴィエが厨房の方へ声をかける。

「…他は?」

「とりあえずはエールかしら?」

「それとぶどう酒にごっはんー」

 先のオリヴィエの言葉を追って、リュミスとサラが言葉を注文を続ける。澄霞とアルは他の3人に任せるようで黙って席に腰を下ろす。

「悪いが、少し待っててくれ。簡単なものはすぐできるが」

「じゃあ先に軽いものを出しといてくれ」

「ああ。リアナー」

「あ、はい」

 リアナと呼ばれた先ほど掃除をしていた女性が返事をして酒のつまみになりそうなものを簡単に盛ってエールと一緒にテーブルに運んでくる。

「どうぞ」

 運ばれてきたエールにオリヴィエは早速手をつけ半分ほどを一気に飲む。

「ふう、生き返るな」

「オリ兄は豪快だよねー」

 そういうサラは運ばれてきたぶどう酒にちびちびと口をつける。

「本当、エルダナーンの中でもはみだし者じゃないかしらね」

「は、個性ないよりいいだろ」

 つまみの豆を口元に運びながらオリヴィエは億劫そうにリュミスに視線を向ける。

「そうね、個性的よ。オリヴィエは」

 リュミスがウインクを返すとオリヴィエは視線を外してエールを飲み乾す。

「親父、おかわりだ」

 オリヴィエが厨房に声をかけるとすぐにリアナがやってきてテーブルに代わりのエールを置いていく。

「働き者ですよねー。リアナちゃん」

 テーブルに置かれていた水をコクコク飲みながら澄霞は通算十何回目になる言葉を呟く。

「昔から親父殿と2人で切り盛りしているからな。慣れたものだ」

 アルヴィンスは連れている黒猫のシアを隣の椅子に乗せて盛っているつまみのいくつかを与えながら相槌を返す。

「でもさー。今回の仕事は簡単だったよねー」

 サラがつまみの中から芋のチップスだけをより分けながら今回受けた依頼を思い返す。

「おかげでこうして酒が飲めるわけだが」

 そういうオリヴィエはすでに2杯目を半分ほど飲んで3杯目に行くか行かないかで少し思案している。

「でも、皆さん無事でなによりですね」

 サラがより分けたチップスを横からつまみながら澄霞が微笑む。

「あーっ、澄霞姉ー! それ僕のー」

「ちょっとくらいいいじゃないですかっ」

「だめーっ」

 サラは選り分けた器を抱きかかえるように澄霞から遠ざける。

「そうね、独り占めは良くないわ」

 その後ろから手を伸ばし、リュミスがひょいひょいとチップスを口に運ぶ。

「こらぁぁ、リュミ姉ぇぇぇぇぇっ!!!」

 椅子から立ち上がり、叫んだサラの口にオリヴィエが豆を投げ込む。

「煩いぞ」

「むーっ」

 放り込まれた豆を噛みながらサラは頬を膨らませる。

「あの…まだチップスありますから」

 控えめにリアナがチップスだけを盛ってテーブルに持ってくる。

「わーい、ありがとー」

 それだけで機嫌を直してサラは席についてチップスをほおばる。

「いつもすまないな。騒がしくて」

「いえ、お得意様ですし。それに冒険者なんですから騒がしいくらいで丁度いいんです」

 アルが頭を軽く下げるとリアナはにっこりと微笑んで厨房の方に入っていく。

「ほんと…いい子よねー。リアナは」

 リアナの背中を視線で追っていたアルの背にエールの入ったジョッキを片手に持ったリュミスが寄りかかる。

「まあ、冒険者をしているとああいった娘の存在は貴重だと思うが?」

 リュミスを背にもたれかからせたままアルは豆を口に運ぶ。

「ふーん、まあいいわ」

 そのままリュミスもエールをあおる。

 そうこうしている内に親父が大皿を持ってテーブルにやってくる。

「昼の残りと有り合わせで悪いが…」

 大皿に盛られた料理は近辺で取れた野菜と動物の肉の炒め物で、後からリアナが人数分のスープを運んできた。

「エールがあれば十分だ」

 結局3杯目に突入したオリヴィエはエールをメインに料理をつまんでいる。

「そういえば、1人姿が見えないが?」

 アルの近くの椅子に座りながら親父は皆を見渡す。

「ああ、ゼロスなら用事があるらしくな。置いて先に戻ってきた」

 シアに料理を取り分けながらアルは親父の言葉に答える。ゼロス、というのが今はここにいないヒューリンの名前である。

「まあ、無事なら何よりだ。依頼もこなせたのだろう?」

 親父の言葉に今度はサラが料理をほおばりながら指を2本立てる。

「ん、中々だな。何かあれば頼むとしようか」

「親父さんの依頼なら格安で引き受けてあげるわ」

 リュミスの向けた微笑につられて親父も笑う。

「にしてもあいつは遅いな…」

 オリヴィエが扉の方に視線を向けて呟く。

「そうね…どこで油売ってるのかしら」

「あれ? いつからゼロスさんは油売りに…」

「澄霞…油を売るっていうのは怠けているっていう意味なのよ」

「…あれ? あ、そんな意味もありましたよね」

 ふむふむと納得いったように澄霞は何度も頷く。

「まったく、下等種族は時間も守れんのか」

 3杯目のエールを飲み干してオリヴィエは隣の椅子を引っ張ってきて足をその上に乗せる。

「まあまあ、そう冷たいこと言わないで…」

 澄霞がオリヴィエの隣に腰掛けて宥める。

「あいかわらず厳しいよねー、オリ兄」

 酔いが回ってきたのかケラケラと笑うサラの横でリュミスの眉間に皺がよっている。

「まあ、そういうものそれぞれだ。エルダナーンにものんびりした奴はいるからな」

 親父に諭されてオリヴィエはそっぽを向く。

「じゃあ、ゼロス待ってる間に次の仕事でも決めておく? 無駄ない時間を過ごすのもなんだし」

 と、エールの入ったジョッキを傾けながらリュミスが言葉を投げかける。

「えー。リュミ姉、もうちょっと依頼達成の余韻にひたろーよー」

 リュミスの提案に対して、ぶどう酒のお代わりを頼んだサラが口を尖らせる。

「でも、サラちゃんは飲み過ぎて潰れてしまわないようにね」

「わかってるよー。気をつけるからだいじょーぶだって」

 澄霞の忠告に対してそうは答えるものの、サラはすでに視線が泳いでいる。

「ま、焦って死ぬ奴ぁごまんといる。気を落ち着けて挑み、そして休むときには休んで英気を養う。冒険者にとって、休むのも立派な仕事だ」

「そうね…。それにしても飲みすぎは禁物よ、サラ」

「もーこどもじゃないかららいじょーぶ…」

 酔いが回ってきたのか、サラはすでにテーブルに突っ伏していた。

「あらあら、サラさん寝ちゃったんですね」

 厨房から追加のつまみを持って戻ってきたリアナがサラを見て微笑む。

「そんなにサラの寝顔が面白いか? まあ、かなり無様だが」

 リアナの持ってきたつまみを口に運びながらオリヴィエが首を傾げる。

「いえ、可愛いなぁって思って」

 言いながらリアナがサラの頭を撫でるとぴくぴくと耳が震える。

「そんなもんか?」

「そんなものです」

 ぴくぴくと動く耳の反応が面白いのか、リアナはサラの頭を撫でながら答える。

「…親父殿。ミルクを一杯」

「ん? ああ、いつものか」

 リアナがサラで遊んでいたためアルは親父に注文を流し、親父が厨房の方にミルクを取りにいく。

「またミルクか? いつまでも子供だなアル」

 オリヴィエはアルをからかうように4杯目のエールを飲み干す。

「勘違いをするな。あれはシアの分だ」

 そう言ってアルはテーブルに置いていたコップに口をつけ、親父が持ってきたミルクを空いていた底の浅い器に移してシアの前にコトリと置く。

「美味いか? シア」

「にー」

「シアさんはお利巧ですねー」

 ミルクを舐め、一鳴きしたシアの頭を澄霞が撫でる。

「使い魔にそこまでするお前がわからんよ」

 オリヴィエは額に手を当てて、半眼でため息をつく。

「まあ…シアは俺にとって家族のようなものだからな。それが使い魔に対する接し方としては奇特なことくらい理解しているさ」

 そう言いつつアルは肩をすくめる。

「そういえば、オリヴィエさんの使い魔はどちらへ?」

 店に入ってから姿を見ていないので澄霞は首を傾げる。

「あいつは外だ」

「ご飯もなしで大丈夫でしょうか…。ちょと見てきますね」

 オリヴィエの使い魔が気になったので澄霞は席を立ち、店の外に出て行った。

「放っておいて大丈夫? 使い魔…ジークだったかしら」

 リュミスがオリヴィエのいるテーブルに置かれたつまみを食べるついでにオリヴィエにたずねる。

「あいつは無意味に逞しいからな。それに問題あれば気付ける」

「そ。にしてもサラ、寝るなら上にいきなさい」

 適当にオリヴィエに言葉を返してリュミスはサラをゆさゆさと揺する。

「サラさん軽いですし、私が上まで運んでおきましょうか?」

 親父と同じテーブルで食事をしていたリアナが小さく手を上げる。

「いいえ、リアナは休んでて」

 リアナの提案を拒否してリュミスはサラの体を大きく揺する。

「なんだ、サラ起きないのか?」

「ええ、だめね」

 リュミスが手を離し、テーブルにごちんと頭をぶつけてもサラは一向に目を覚ます気配がない。

「耳でもおもいっきり縛っとくか」

 吐き捨てるように言って、オリヴィエは荷物袋から取り出した紐でサラの耳を束ねて縛る。

「むにゃ…」

 サラは拒否するように頭を動かしたが目を覚ます気はないらしい。

「…どうしようかしら」

 リュミスが腕組みしてサラを見下ろしていると入り口を開いて澄霞が帰ってきた。

「澄霞、意外と早かったわね」

「いえ、この人が私たちに話があるみたいで」

 腕を組んだまま入り口をじろりと睨んだリュミスの視線から逃れるように澄霞は半歩横にずれる。その後ろから神官服を着たヴァーナで猫族の少女が姿を見せる。

「うわー、お酒の匂いが…」

 店内をきょろきょろと見渡して少女は漂う匂いに眉をひそめる。

「すまないな。先の仕事が終わって祝杯を挙げていたんだ」

「それに酒どうこうはあんたに心配されることじゃない」

 アルは椅子の上で丸くなったシアの背中を撫でながら少女に視線を向け、オリヴィエはエールを傾けながら少女を睨みつける。

「まあまあ、オリヴィエさん。脅かしてはかわいそうですよ」

 横に避けた澄霞がオリヴィエをなだめるように手のひらを振る。

「それで、話?」

 焦れたようでやや不機嫌なリュミスな声を聞いて、少女は身を正す。

「えっと、一応自己紹介を。ライン神殿で依頼所の受付をしているフィリスです。ギルドマスターのアルヴィンスさんは知ってるかもしれませんけど」

 ちらりとアルの方に視線を向け、アルが頷くとフィリスは安堵のため息をついて言葉を続ける。

「今日はちょっと異例なんですけど、神殿から街中のギルドに依頼があるんです。依頼所のほうでも依頼してますけど、ギルドハウスの方でも依頼を持ちかけることになったんです。極めて異例なんですけど」

 前置きが長かったためか、椅子に座ったリュミスは指先でタンタンとテーブルを叩いている。その横でサラはテーブルによだれの海を作りつつもいまだ眠り続けている。

「いいかげん起きろ」

 それが気になったのかオリヴィエはサラの頭を叩き、バシィッと小気味良い音が響く。

「むぎゅぅ」

 テーブルと手で潰されて妙な悲鳴を上げ、一度は身を起こしたもののサラは再度眠りに落ちる。

「少し待ってろ」

 ほんの少し頬をひくつかせながらオリヴィエはフィリスに手のひらを向けて制する。フィリスが口をつぐんで頷くのを確認してからオリヴィエはサラに手のひらを向ける。

「出でよ竜王。目の前のねぼすけを食らえ」

 言葉に応じて浮かび上がった竜の幻影は少し戸惑うように動きを止め、そっとサラの頭を口にくわえて徐々にその口を閉じていく。

「えうぁぁぁっ!!」

 こめかみに牙が食い込みかけた辺りでびくんっ、とサラの体が跳ねて奇妙な叫び声と共に椅子から転げ落ちる。それと同時に役目を果たした竜の幻影は姿を消す。

「こんなところで召喚しちゃ駄目ですよ」

 澄霞の忠告を聞き流してオリヴィエは満足そうにエールを飲み乾す。

「ううー…いったい何ー」

 椅子に寄りかかりながら転がり落ちたサラが身を起こす。噛まれた頭が痛いのか空いた左手でこめかみの辺りを押さえて気にしている。

「サラちゃん大丈夫ー?」

「うん、だいじょぶだけどー…わわっ、耳ー耳ー」

 ようやく耳が縛られていることに気付いたのかサラは頭の上に手をやって結び目を探しだす。

「あらあら、ほどいてあげますね」

 耳を縛っている紐相手に悪戦苦闘しているサラを見かねたリアナが簡単にその紐をほどく。

「うー、ありがと。リアナちゃん」

「どういたしまして」

 耳をさすりながらぺこりと頭を下げたサラにリアナは微笑みを返す。

「いい夢は見れたか?」

 意地の悪そうな笑みを浮かべてオリヴィエがサラに問いかける。

「ゆ、夢? そのわりには頭がいたいー」

 サラは首を傾げながらこめかみをもみほぐす。

「ええと…そろそろ話進めてもいいですか?」

 オリヴィエに制されてからずっと黙って見守っていたフィリスが控えめに手を上げる。

「ああ、いいぞ」

 すでに関心をなくしたようにオリヴィエはどうでも良さそうにひらひらと手を振る。

「えっと…それで依頼内容なんですけど、漆黒の旅団というギルドがあるのですがそのギルドの調査をお願いしたいんです」

「ギルドの調査…ですか?」

 中空を見つめながら言ったフィリスの言葉に澄霞が首を傾げる。

「ギルド同士のよけいないざこざは遠慮したいわね」

 声色の不機嫌さを隠そうともせずにリュミスがフィリスを睨みつける。

「あ、いえ。対立しろとかではなくてですね、ここ最近にラインで活動しているギルドなんですが、許可もなしに管理下の遺跡に侵入したり、空き巣をしたり、一般人に危害を加えたりしたらしいのでその真相を調べて欲しいんです。  いくら冒険者の街といっても最低限の規則はありますが、証拠も無しには神殿としても強制的にどうこうってわけにはいかないんです」

「難しいものだな」

「ええ、そもそもに仲介役のような立場ですしね。立場としては弱いんです、恥ずかしいことですけど」

 そう言ってフィリスは苦笑を浮かべる。

「どうする、アル? 神殿の依頼なら報酬を渋ることもないだろうが」

「あ、はい。とりあえず前金で100G。成功報酬でさらに200Gですね。受けていただけるなら他のギルドの人が解決したとしても信用たる情報提供していただいていれば成功報酬のほうは支払います」

 オリヴィエの言葉を聞いたフィリスが疑問に答える。

「私は興味ないけど…どうするの? アル」

 机に肘を乗せて手で顎を支えながらリュミスがアルに問いかける。

「ふむ…そこまでして何かをしようとしている漆黒の旅団とやらの目的に興味はあるな。古代の遺産か、まだ見ぬ魔術の道具か。はたまた封印された遺物か…」

 思考を巡らせてアルは黙り込む。

「リーダーがそーゆーならきーまりっ?」

「だな」

 サラの言葉にオリヴィエが応える。

「それじゃあ前金は置いておきますね。それと、もし旅団の方といざこざがあった場合は冒険者のルールで対応をお願いします。こちらからどうこういうことではないでしょうし」

 フィリスは背負っていたバックパックをおろし、中から取り出した前払い分の金貨を置いて『憩いの羊亭』をでていった。

「さて、こうなるととりあえず漆黒の旅団の後を追うしかないな。どの辺りでの目撃証言が多いかで多少なりとも範囲を絞るしかないか…」

 アルは首を回しながら席を立つ。

「情報収集なら私も手伝うわ」

「あ、私もいきます」

 アルに続いてリュミスと澄霞が立ち上がる。

「真面目だねぇ」

「性分でな」

 アルの言葉を聞いてオリヴィエは肩をすくめる。

「僕は気分悪いから寝てるよ…。夜には起こしてね?」

 ふらつく足取りでサラは2階へと歩いていった。

「ならバラバラに分かれて情報収集するとしよう。夕方にここに戻ってきて情報の整理をするということでいいか?」

「ええ」

「了解しました」

 アルの提案にリュミスと澄霞は2つ返事で乗り、『憩いの羊亭』をでると各々違う方向へと足を向けた。

 

 そして夕方。情報収集を終えたアル達は『憩いの羊亭』でテーブルを囲み、集めてきた情報を整理しだす。

 とはいえ短期間、しかも当てもなく探したので核心たる情報は皆無といっていいようだ。

 漆黒の旅団とは全く関係なさそうなものから目撃情報まで、特に的を絞って情報収集をしたわけではなかったので集まった情報は多彩にだった。

 やれ、黒ずくめは古い文献を漁っているだの。やれ、黒ずくめが死霊を操っていただの。やれ、街の地下には何かがあってその入り口を探しているだの。やれ、ラインの街は巨大な封印だの。やれ、街のどこかには古代の魔法の道具が数多く眠っているだの。やれ、神官長は実は魔族だの。根も葉もないような噂が何処から流れてくるのか疑問に思うくらいだ。

 とりあえずアル達は噂のようなものは完全に無視して黒ずくめの目撃情報だけを拾い上げる。

 

「…結局、街中で張り込むなり、巡回するなりするのが一番みたいだな」

 ラインの街の地図に情報を書き込んで整理していたアルが動かしていた手を止めてそう呟く。

「当たりはつけれたの?」

 リュミスの疑問を受けて、アルは地図の一部を丸で囲う。

「結構広くないですか? これ」

 澄霞が指摘するように、ラインの街がそこまで大きいものではないといっても全部回るだけでかなりの時間はかかるだろう。

「まあ、当たりをつけただけだからな。そもそもに現時点では確実にここといえるわけでもないし、他のギルドも探しているのならば広範囲を探すよりは狭い範囲を重点的に調べた方がいい」

 そういってアルは手にしていた羽ペンのインクを拭い、インクとまとめてベルトポーチに仕舞いこむ。

「2手に分かれて捜索してみる?」

 とんとん、とテーブルを叩いていたリュミスが提案する。

「一方が襲われたらどうすんだ?」

「そうね…幸い使い魔が2匹いるから、連絡用に交換できない?」

 ふむ、とオリヴィエが頷く。

「確かに魔力を引き出すことは出来ないが…連絡用なら問題ないな。アル、それでいくか?」

 アルはほんの少し思案しているようだったが、オリヴィエの言葉に頷いて答える。

「後は、私とサラがどっちと動くか…ね」

「オリ兄と一緒にいたら騒ぐ気がするー」

「そう…じゃあ、アルと澄霞とサラ、私とオリで別れましょ」

「異存はない」

「さんせー」

 意見をまとめたところで、アル達は夜まで休息をとることにした。

 

 夜。家々の明かりが減り、夜を主とする店の明かりが多くを占める頃になってアル達は『憩いの羊亭』を出る。

「俺達はこっちのほうから回ってみる」

 アルの手にしている街の地図に指を這わせながらオリヴィエが言う。

「なら、私たちはこう、ですね」

 オリヴィエが示した辺りに重ならないように、澄霞が地図をなぞる。

「そうだな。何かあればファミリアで連絡するとして、何事もなかったとしても一度ここで落ち合おう」

 そう言って、アルは丸をつけた端辺りの街に昔からある図書館を指す。

「わかった」

 こくりと頷き、オリヴィエとリュミスが夜の闇に消えていく。

「それじゃー、ゴー」

 そしてアルと澄霞も2人が向かった方向とは逆の道を、拳を空に向けてかざしたサラを先頭に歩きだした。

「なーんもなかったねー」

 図書館の前にある階段に腰を下ろしてサラがぼやく。

「こんなものよ、サラちゃん」

 不満そうに頬を膨らませたサラを澄霞がなだめる。

「もっとこー、わーとか、ばーん、とかいうのだと思ったのにー」

「いつもいつもそういうことになるわけではないな。特にこういった依頼ではまずない」

 そう言われてもサラは不満そうに階段の上にあった石を蹴り飛ばす。

「オリヴィエの方もどうやら何も無し、か」

 アルがそう言うと同時に道の角からオリヴィエ達がやってきた。

「空振り、だな」

「ああ」

 オリヴィエが肩をすくめ、足元にいたシアがアルの元に駆け寄っていく。けれどもその途中でシアは足を止めて図書館の方に視線を向けた。

「どうした、シア」

 問うと同時にアルも図書館の方に視線を向ける。

「…サラ、そこの扉を見てくれないか?」

「んぃ?」

 何処からか拾ってきた枝で地面に落書きをしていたサラが突然話を振られて奇妙な声を上げる。

 首を傾げながらもサラは立ち上がり、まずつま先で落書きを消してから扉に近寄ってちょっと見ると、おもむろに取っ手を掴んでゆっくりと引く。

 扉はギィと軋んだ音を立てて少し動く。

「鍵、開いてるよ?」

 扉を引いた体勢のまま、サラは首を回してアルに言う。

「鍵の閉め忘れ…ってことはないですよね?」

 開いた隙間から澄霞が中を覗き込むが、少しの月明かりしか差し込んでいない内部の様子はわからない。

「ここの館長は知っているが、まずありえないな」

「まあ、中を調べてみればわかるわ」

 リュミスの言葉に全員が頷き、サラが扉をゆっくりと引くと、扉はギィィィと音を立てて開いた。

「建てつけ悪いねー、これ」

「油でも差しておけと今度言っておいてやろう」

「そだね」

「誰か中に居たらこの音聞こえたかもしれないわね、急ぎましょ」

 足音を忍ばせてリュミスは図書館の中へ入っていき、その後をサラ、澄霞、オリヴィエ、アルの順で続く。

 図書館のなかは静まり返っており、足音でさえもうるさく聞こえる。窓から月明かりは入ってきているが照らされているのはほんのごく一部で、ほとんどの空間は闇に閉ざされている。最後に入ったアルが入り口の扉を閉めたため、さらに闇が濃くなった気がする。

「リーダー、最初ちょっと開いてなかった?」

 扉を閉めたことが気になったのか、ひそひそとサラがアルの耳元に口を近づけて囁く。

 アルは自分の口元に指を当ててサラに口を閉ざすように示してから、口の中で小さく呪文を唱える。

 かちん、と小さな音がして扉の留め金が落ちる音がする。前を歩いていたリュミス達が振り返るが、アルは目で合図を送り先に進みだす。

 闇の濃い場所と薄い場所を判断して書架にあまりぶつからないように注意しながら奥のほうへと進んでいくと明かりが見え、その明かりが届く範囲に数名の黒いローブを着た者達がいた。黒ローブは同色のフードを被って、その顔を隠している。

 黒ローブ達は書架に納められている書物をいくつも取り出して、何かを調べているように見える。その中心、フードを下ろしたやや細い体躯の男が手にした書物をぱらぱらと捲っては次の書物に目を通しているのが異彩を放っている。

「ふむ…やはりあそこか」

 男が呟き、手にしていた書物を書架に戻すと忍び足で近寄っていたリュミス達を見据える。

「こんばんは、お嬢さん方。こんな夜更けの図書館に何の用かね?」

 芝居がかかったような口調の台詞が終わる頃には他の黒ローブ達が男とリュミスの間に割って入ってきた。

「んー、ちょっと調べ物ー」

 何気なくサラが男のほうに足を踏み出すと黒ローブ達が腰をやや低くして腰に下げている武器に手をかけたので、サラは近寄るのを止める。

「あんたこそこんな夜中に調べ物かい?」

「閉館時間は…過ぎてると思います」

 オリヴィエと澄霞の言葉を聞いて男は大きく頷く。

「うむ。大切な、そして急ぎの調べ物でね。少々無礼とは思いつつも失礼させてもらったのだよ。まあ、用事も終わったのでそろそろ退散したいのだが…」

「時に卿、質問してもよろしいか?」

 男の言葉を途中で遮るように、アルが小さく手を上げて半歩踏み出す。

「ああ、構わんよ。あまり時間は取りたくないがね」

「漆黒の旅団というギルドが少々派手に最近動いているらしいのだが、黒ローブの者達と卿は関係者か?」

 そのアルの質問に対して、男の口からではなく、その傍にいた男が取り出したボウガンの矢で答えが返ってきた。とはいえろくに狙いをつけていなかったのか、矢はアルを逸れて書架の側面に突き刺さる。

「ああ、最近の若い者は急き過ぎてならない。そうは思わないかね? エルダナーン」

 男はうつむき、目元に指を当てて嘆かわしそうにかぶりを振る。

「全くだな」

 合わせるようにアルが肩をすくめてふと見れば、男とアルを除いた全員がすでに武器を手にしている。

「はてさて、荒事は望むところではないのだが…いかんともしがたいようだね」

 一触即発のこの状況でも男は緊張感なく腕を組んで、ふむ、と考え込む。じりじりとサラとリュミスが間合いを詰めようとするが、間に立ちふさがる黒ローブの2人がそれの邪魔をする。

「さりとてさっき言ったように私には時間がなくてね。ここで失礼させてもらうとするよ」

 男が組んでいた腕を解いて右手を横に払うように振ると足元に淡い蒼の六芒星が浮かび上がる。

「…逃げる気?」

「私としても残念で仕方ないのだよ。出来ればお相手したかったのだがね、お嬢さん」

 男の言葉に気分を害したのか、今にも飛び掛りそうな雰囲気をリュミスがまとい、それに対して黒ローブ全員が身構える。その瞬間にサラがナイフを抜いて魔術を発動させようとしていた男に投擲する。

「駄目だよー。逃がさないー」

 だがそのナイフは男の手のひらで受け止められる。

「今は時ではないのだよ。少々おいたが過ぎる」

 男はナイフを手の中で持ち替えて…いきなり動きを止める。

「…ふむ。ああ、中々に面白い」

 その言葉が発せられるとほぼ同時、男とアル達の間にあった天窓が大きな音を立てて砕ける。大小のガラスの破片と窓枠だったであろう木の残骸が真下にいた黒ローブ達に降り注ぐ。その降り注ぐ破片から身を護るために頭の上で両手を組んで身を屈めていた黒ローブの1人の上に天窓から飛び込んできた人影が着地した。

 やや前傾姿勢で屈んでいたのが災いしたのだろう、背中に着地された黒ローブは前に倒れ、人影と床で体を圧迫される。

「まさか図書館とは…な」

 飛び込んできた人影は着地の衝撃を和らげるために屈めていた体を起こし、クッション代わりになった黒ローブの後頭部を靴裏で踏み潰してきっちり止めをさしてから顔を上げた。

「ゼロスさん!」

 明かりに照らされて人影の正体を知った澄霞が驚きの声を上げる。その人影は用事があってここ数日分かれていたゼロスだった。

「私のセブンセンシズがなければたどり着けなかったぞ? アル」

 服の埃を払いのけて、軽く呼吸を整えてからゼロスが目の前の黒ローブに注意を払いつつもアルを横目で睨みつける。

「そういうな。そもそも俺達も偶然だ」

 ゼロスの視線を受け流し、アルは苦笑を浮かべる。

「やれやれ、とんだ珍客だ」

 ほんの少し和んだ空気を男の声が吹き飛ばす。アル達が男を注視するとすでに男の姿は薄らいでいた。

「再三いうが、私は退散するよ。追ってくるのならばライン旧城にくるといい。時があればお相手しよう」

 その言葉を残して男の姿とその足元に浮かび上がっていた六芒星が消え、サラが投擲していたナイフが床に音を立てて落ちる。

「逃げられたわね」

 ぶつける相手のいなくなった憤りを、リュミスは横の書架にぶつける。その衝撃で書架の一部が壊れ、何冊かの書物が書架から崩れ落ちるが当然リュミスは気にも留めない。

「まあとりあえず…目の前の阿呆どもの相手をするか」

 残された黒ローブ達は仲間をやられた恨みからか殺気を漲らせている。

「ゼロス、探し回って疲れた…なんて言わないわよね?」

「…無論だ」

 若干不機嫌そうなリュミスの言葉に答えたゼロスが剣を抜くのを引き金に、剣を構えた黒ローブ達が床を蹴った。

 

 to be continued