ラインの街を少し騒がせた事件から一ヶ月余りが流れた。

 さして大きな事件でもなかったので、事件に関わった人ですら記憶の片隅にもほとんど残っていないだろう。神殿も当初は後始末に追われていたようだが、今では過去のものとして扱っている。

 そしてそれは事件にそれなりに関わっていたギルドも同じだ。

 今日を生き、明日にたどり着く日々。一寸先に何が起こるかわからない冒険者達は、一ヶ月も前の事件をあれこれと気にしている暇はない。当然物好きはいるだろうが、金にもならないことに執着することはまずない。

 当然のことながら、センブリギルドも同じだった。

 事件に関わったからといって何かが変わったということもなく、神殿の依頼所で解決できそうなものを探しては受けるといった事を繰り返している。それらの結果として駆け出し程度のギルドとして知られるようにはなったが、これも別に事件とは関係しない。日々の積み重ねである。

 そんなわけでアルは今日も神殿に出向いていた。それなりに広い依頼所はいつも冒険者達でごった返している。傷1つない真新しい鎧に身を固めた男もいれば、所々が削られて鈍く光を反射するような使い込まれた鎧に身を固める男もいるし、どう考えても機能性のあまり感じられない奇怪なものを身につけているものもいる。

 直接依頼をされるような有名なギルドや個人でない限りはこの依頼所に足を運ぶしかないわけだし、実りのいい、見返りのいい仕事というのは結局のところ早い者勝ちだからこうなるのも仕方のないことではある。

 そんな冒険者達のるつぼの中を縫うように、アルは受付カウンターへと歩いていく。依頼自体は最低限のことを神殿が聞き、その内容によって種類分けやランク分けがされている。アルはそうやって分けられたランクの中でも簡単な部類に入る依頼書の束を受け取りパラパラと捲っていく。2,3回捲る手を緩めたりはしたが結局気に止まるような依頼はなかったのか、アルは受付に依頼書の束を返してカウンターを離れる。そして壁に貼られている依頼書を流し読みしだす。

 とはいえどんな事件があるのか、どんな討伐依頼があるのか見るだけでアルはそれらを受ける気はないし、受けれるような実力を持っているわけでもない。

「どうしたものか…」

 アルは壁に貼られている依頼書を眺めながら1人呟く。実際のところ受けてもいいような依頼はいくつかあったわけなのだが、そろそろ受ける依頼のランクを上げるべきか否かで少し躊躇している。と言うのも、ギルドメンバー達がもう少し骨のある依頼をこなしてみたいと言っていたからだ。

 アルは壁の依頼書を下の辺りのまで眺め終えると再度受付カウンターへと歩いていく。そこでさっきから1ランク上げた依頼書を受け取ってパラパラと捲りだす。明確に内容の分かるような依頼で何度か手を止めたりしながらアルは依頼書を捲っていく。

「お仕事探しですか?」

 カウンターの向こうから声をかけられ、依頼書に落としていた視線をアルが上げると、見知ったヴァーナの神官であるフィリスが立っていた。

「ああ、それ以外の何かをしているように見えるか?」

 言ってフィリスに向けていた視線を依頼書の束に落とす。

「いえ、決まっていないのならセンブリギルド宛で依頼が来ているんですけど」

 アルは再度フィリスに視線を向け、首を傾げる。

「特に名は売れてはいないと思っているのだが…真っ当な依頼か?」

「はい。そういうのは大丈夫なものですよ。神殿からの依頼になるわけですし」

 ふむ、と少しアルは考えてから依頼書の束を閉じて受付の向こうに戻す。

「依頼書は?」

 アルがフィリスに催促するとフィリスはポシェットから1通の封筒を取り出してアルに手渡す。

「これです」

 アルは封筒を受け取り、1度裏返して両面を見てからベルトポーチの中に放り込む。

「どうしようもない場合以外は受けるべきなのだろうな」

 下を向け続けていた首をぐきりと回してアルは首筋を押さえる。

「ええ。まあ、今のところは依頼も受けていなかったので都合はいいんじゃないですか?」

「まあな」

 アルは小さくため息をついてからフィリスに手で別れを告げて神殿を後にした。

 

 太陽はすでに南中からやや傾き、一日の中で最も暑い時間帯にさしかかろうとしている。

 昼の明るい時間を少しとも無駄に出来ない人以外は暑い時間帯を避けるように小休止を挟むために店は若干込みだし、建物の補修や改修をしている人も木陰で食事を広げだしている。

 そんな街中をアルは黙々と歩いていく。もっとも普段から金属鎧の類はつけていないし、帽子もつけているから他の冒険者達と比べれば遥かにマシなのだろうが、十分に暑い。もっとも、大通りから外れて若干細い道に入ってからは日陰を通る余裕が生まれたので気分的にはかなり変わる。

 そうやってしばらく歩き、アルはいつも利用している『憩いの羊亭』にたどり着く。

 開けっ放しの扉をくぐると、『憩いの羊亭』も例に漏れずそれなりに賑わっている。アルはぐるりと店内を見渡し、直接日の当たらない上に風通りのいい席に陣取っているいつものメンバーを見つけてそっちへ向かう。

 こういうときにはドゥアンほどではないがそれなりにある背も便利なものだとアルはよく思う。

 席にアルが近づくと、アルの方に体を向けて座っていたオリヴィエが最初に気付いて手を上げて挨拶してくる。それに対してアルも手を上げて応え、空いていた席に腰を下ろす。とりあえず置いてあった空のコップに水差しから水を注ぎ、注いだ中身を半分ほど飲んでからアルはコップをテーブルの上に戻す。

「暑い中お疲れ様」

 アルの横にいたリュミスが乾いた布をアルに手渡す。

「やはりこの時間は避けるべきだったな…、迂闊だった」

 浮いていた汗を軽く拭い、一息ついてアルは服をやや緩める。

「それでー、お仕事の方はー?」

「ああ、とりあえずは見つけてきたが…話すのはもう少ししてからだな」

 言いつつアルはベルトポーチを手で叩く。

「そうね、今の時間は人が多すぎる」

 リュミスが店内を一瞥して頷く。

「ああ、それもあるが…」

 アルは汗を拭いた布をテーブルの上にたたんで置いてから、さっきまで皆が食べていたであろう大皿に残っている料理を一口食べる。

「まずは昼食をとらせてくれないか?」

 

 食事を終えたアルが空にしたコップをテーブルの上にコトリと置く。アルが帰ってきた時間が最も暑い時間だったからか、もう店内にはあまり人は残っていない。もっとも、アルがゆっくりと食事を取っていたせいもあるだろうが。

「相変わらず食べるの遅いよー、アル」

 アルが食事をしている間暇だったのかサラが文句を言ってくる。

「味わって食べないと失礼だからな」

 食べ終えた食器をカウンターの方に運びながらアルは言う。

「そうです。お米を作ってくれた農家の人とか、野菜を作ってくれた農家の人とか、私たちの栄養になるために狩られた動物さんとか、美味しく料理してくれた人とかに感謝しながらご飯は食べないと」

 ぐぐっ、と拳を握り締めながら澄霞が力説する。

「感謝してもしなくても、味は変わらん」

 ふん、とオリヴィエが鼻を鳴らす。

「まあ、気持ちの問題よね」

 リュミスの言葉にゼロスが黙って頷いて同意する。

「さておき、依頼を受けるかどうかの話に行こうか」

「あれれ? まだ受けてないのー?」

 アルの仕切りの言葉にサラが首を傾げる。

「急ぎの依頼らしいのだがな。全員に相談ということで保留している」

 アルはベルトポーチから神殿で受け取った手紙を取り出して中を開く。中には依頼内容を書いた手紙とライン神殿の捺印の押された正式な依頼書が入っていた。アルはまず手紙を開いて内容を読み上げる。

「あー…『前略。ラインの街より南に陰の森と呼ばれる大樹海の近くにあるサラスという村をご存知でしょうか? 私はその村の神殿で神父をしているバースというものです。サラスの村では近々大地の大祭と呼ばれる伝統のある儀式が執り行われようとしています。その儀式の最後に歌姫による奉納があるのですが、その歌姫の護衛をセンブリギルド様にお願いいたしたいのです。詳しいことはサラスの村にいらした時に説明いたします。どうかお願いします』…だそうだ」

 読み上げてアルは手紙をテーブルの上に置く。

「…護衛?」

 ゼロスが眉をひそめて呟いた言葉にアルが頷く。

「アルー、どうするのー?」

「護る、というのは難しい部類なのだがな…」

 むう、と唸ってアルは黙り込む。

「でも、いつまでもチマチマした依頼するのも…ね?」

「それに急ぎの依頼なんですから、受けてあげましょうよ。丁度手は空いているわけですし」

 現在、保留が2賛成が2。アルがオリヴィエに視線を送るとオリヴィエは首を縦に振った。これで賛成が3。

「ああ、アル。報酬などは書かれていないのか?」

 頷いた後にふと気になったのかオリヴィエが問いかける。

「それは依頼書の方にあるかもな」

 アルは置いておいた依頼書を広げて書かれている文字を流し読みする。

「……ああ、あった。ギルドに対して3000Gか。ただの護衛にしては破格だな…」

 ヒュウ、とオリヴィエが口笛を鳴らす。

「ま、依頼よりその歌姫とやらを売った方が金になりそうだがな」

 口元に笑みを浮かべ、オリヴィエがそう口にする。

「またそんなそんな酷いことを…」

「そんなことしたら他のギルドに追われるわよ?」

 眉尻を吊り上げた澄霞と呆れ顔のリュミスに、

「依頼中の不幸な事故だ。大事にはならんさ」

 浮かべていた笑みを濃くしてオリヴィエはそう応える。

「ただの護衛とは思えない…。裏があると思うべき」

 ゼロスが呟いた台詞にアルは頷く。

「親父殿、サラスの村とやらを知っているか?」

「確か…陰の森の近くにある村だな。規模自体は小さいが、近くにある古い神殿と温泉があるから観光で訪れる人は多いな」

 厨房の中で片付けや仕込みをしていた親父にアルが声をかけると手を止めることなくそう言葉を返してきた。

「温泉っ!」

 言葉に反応してテーブルの上にコップから垂らした水で落書きをしていたサラが顔を上げる。

「温泉ですかぁ、いいですね」

「温泉…いいわね。この話乗りましょう、アル」

「ぜひ乗りましょう!」

「うんうん。乗ろー、アル」

 リュミス、澄霞、サラに詰め寄られてアルは諦めたかのようにため息をつく。

「まあ、断る必要性がみえないからな。受けるとしよう」

「疲れを取るにはいい場所だ。仕事を終えたらゆっくり休んでくればいい」

「当然」

「ですね」

 親父の提案に力強くリュミスと澄霞が頷く。

「しかし大祭…か。詳しいことは向こうで聞いたほうが良さそうだな」

「ああ、さすがに細かいことまでは知らないからな」

 そう言って親父は仕込みに集中しだす。

「ところでー、そのサラスの村ってここからどれくらいで着くの?」

 サラが首をほぼ真横に倒して誰にでもなく問いかける。

「そうね…手紙に書いてある日程からすると、今から出れば祭りの2日前くらいには着くかしら」

 テーブルの上に置かれた手紙と依頼書を読み返しながらリュミスが応える。

「現地に行かないことには始まらんが…ギリギリか」

「そうだな。少しやることもあったが後回しにしてサラスの村に急ぐとするか。準備を終えればもう1度ここに集合。全員集まったらサラスの村へ向かうということでいいな」

 依頼ということでゼロスやリュミスはやや真剣な表情で頷き、どこか浮かれた様子でサラと澄霞は頷く。

 一時解散となって2階に荷物を取りに行こうと立ち上がったオリヴィエの裾をちょいちょいとリュミスが引っ張る。オリヴィエが反応して首をそっちに向けるとリュミスがオリヴィエの耳元に唇を寄せて、

「ところでさっきの誘拐とかって、売るあてはあるのかしら?」

 と囁く。意表をつかれたのかオリヴィエは表情を無くしたが、すぐに唇の端に笑みを浮かべ

「伊達に100年生きてはいないさ」

 と小声で言葉を返した。