サラスの村までの道中は特にこれといったこともなく、アル達はサラスの村に到着する。

 まだ祭りは始まっていないのに村は多くの人で賑わっており、大祭の準備の為か木槌の音が辺りから響いてくる。

「うわー、すごいねー。活気あるねー」

 そんな様子が物珍しいのか、サラは耳を小刻みに動かしながら辺りの様子を忙しそうに見ている。

「準備の様子は後でも見られるわ。先にクライアントの所へ行きましょう」

「えー」

 文句を言いかけたサラの耳を掴んでリュミスは先に立って村の奥に見える神殿の方へ歩いていく。

「あやっ、わーわわわー! ちぎれるーーーーっ!!」

 サラもそれに引っ張られて神殿の方へ向かう。当然、辺りを見ている余裕などないだろう。残されたアルと澄霞は顔を見合わせて困ったように笑みを浮かべてその後を追い、オリヴィエは呆れたように肩をすくめ、ゼロスは特に何も思わなかったのか辺りに視線を向けながら歩いていく。

「もー、リュミ姉ひどいお…」

 神殿の開け放たれた扉の前に着いてようやく離してくれた耳を擦りながらサラは涙の浮かんだ瞳でリュミスに非難の視線を向ける。

「安心なさい。そのくらいで千切れるほどやわじゃないから」

 微笑を浮かべてリュミスはサラの頭をポンポンと叩く。

「う〜…」

「まあ、とりあえずは中へ入ろう。依頼人に合わないとな」

 サラは何か言いたげだったが、アルの言葉に渋々頷いて神殿の中へ入る。それに続いて他の皆も中に足を踏み入れる。

 神殿はよく言えば歴史のあるように見え、悪く言えば古びて薄汚れた建物だった。とはいっても掃除はきちんとなされているのか、埃が溜まっていたりゴミが落ちていたりはしていない。大祭の準備なのか、神殿の中でも何人かが動き回りながら何かを組み立て、取り付け、飾り立てている。

 それらの中心、入り口から正面にある神の像の前で何人かに指示を出していた神父が入ってきたアル達に気付いて近寄ってくる。

「冒険者達よ、サラスの神殿にいかな用でおいでかな?」

 そのやや太めの神父は柔和な笑みを浮かべてアル達を迎える。

「バース神父から依頼を受けたセンブリギルドだが…」

「あなたがバース神父?」

 アルの言葉を受けてリュミスが続ける。

「おお、お待ちしておりました。確かに私がこのサラスの神殿で神父をしておりますバースです」

 右手で握手を求めてくるバースに対して、アルは左手を差し出す。バースはほんの少し眉をひそめるが、すぐに笑みを浮かべなおして左手でアルの手を握り返す。

「こんな場所での立ち話も何でしょう。奥へいらしてください」

 そう言って先導して神殿の奥へと歩いていくバースの後をアル達はついていく。

「おっちゃんー、温泉入りたいー」

 途中でサラがバース神父に並んで袖を引っ張るのを後ろからリュミスが襟首を引っ張り引き離す。

「まあ待ちなさい。お仕事の話が先よ」

「ぐぇ…」

 襟が喉に食い込んでサラの喉から呻き声が漏れるが、リュミスは欠片も気にしない。

 その様子をバース神父は困ったように笑みを浮かべながら見ながら

「まあ、温泉はこの村の自慢ですからな。あとで存分にお入りください」

 と言ってまた歩き出す。

 サラはそのままリュミスに引き摺られそうになったが、なんとか振りほどいて自分の足で歩く。

 そうして一行が案内されたのは客間と思われる部屋だった。とはいっても別段、飾った椅子があったり豪勢な調度品があったりするわけではない。やや大きめの机がひとつあるだけだ。入り口から向かって奥のほうにバース神父が、手前の方にアル達が机を挟んで立つ。

「さて依頼の件ですが、先に送った手紙に記したとおり歌姫の護衛を頼みたいのです。というのも、儀式の最後に歌姫が奉納のためにサラスの村から陰の森の端にある『大地の神殿』と呼ばれる場所へ向かうのですが、ここ最近になって陰の森の端のほうでも動物達が凶暴になってまして…。それで歌姫を安全に儀式の場所へと連れて行ってもらえるよう、冒険者に頼むことにしたのです」

 ここでバース神父は一旦言葉を切り、アル達を軽く見渡す。

「依頼の内容に関してはこの程度ですな。ここまではよろしいですか?」

 バース神父の言葉にサラだけが首を傾げる。アルとリュミスが頷いたのを見てバース神父は続きを話し出す。

「護衛の依頼期間は大地の大祭の間中です。祭り自体は2日かけてありまして、その最後の締めとして歌姫の奉納があるのです。まあ、村の中で何かがあるということはまずありえないでしょうから、『大地の神殿』へ行くときになるまでは大祭を楽しんでいただいて結構です。2日目の夜から最後の儀式が始まり、奉納自体は次の日の明朝になります。この儀式というのは…」

 依頼の内容を話していたはずのバース神父の言葉はだんだんと熱を帯びていき、話が脱線しだす。最初は姿勢を正して聞いていたサラは話が長くなりそうで嫌になったのか澄霞にもたれかかってバース神父から視線を逸らす。と同時に耳をたたんで何も聞かない体勢をとる。

「こら、サラちゃん」

 小声で澄霞が言いつつ、サラの体を軽く叩く。

 熱弁を続けようとしたバース神父はそのサラの様子を見て1度咳払いをする。

「…失礼、熱くなってしまったようですな。長旅でお疲れでしょう、村に『森林亭』という宿があります。今日はそちらでゆっくりと疲れを癒してくだされ」

 そのバース神父の言葉を聞いてサラは澄霞に寄りかかっていた体を起こしてきっちりと立つ。

「温泉ー、温泉ー♪」

 そして身を翻して脱兎のごとく部屋を飛び出していく。

「ああっ、サラちゃん。抜け駆けは禁止です!」

 澄霞が声をかけるが、サラは止まらずに廊下を駆け抜けていった。

「…すまないな」

 廊下に目をやり、ため息をついてからアルはバース神父に頭を下げる。

「いえいえ。ああ、それと祭りは明後日からです。明日もかけてゆっくりと身を休めてはいかがでしょうか」

「それはいい考えね」

 その提案が気に入ったのか、リュミスは笑みを浮かべる。

「ところで、その歌姫とやらはどこにいるんだ?」

 部屋に入ってからというもの壁に寄りかかったまま黙っていたオリヴィエが口を開く。

「おお、そうですな。この時間であれば宿にいることでしょう。話はしておりますので、ついでというのも変な話ですが会ってみてくだされ」

「ああ」

 それを聞いてオリヴィエは部屋を出て行く。手持ち無沙汰だったからかゼロスもそれに続いて部屋を出て行く。

「じゃあ、私たちも宿へいきましょうか?」

「そうですね」

 リュミスの言葉に澄霞は頷いて、

「…いや、俺は少し村を見て回ってから宿の方に向かうとする」

 アルは少し思案した後に首を振った。

「そう? それなら行きましょ、澄霞」

「はい」

 澄霞とリュミスが部屋を出て行くのを見送って、アルはバース神父に視線を戻す。

「さて、バース神父。奉納ということは何かを奉っているのだと思われるが…一体何を奉っているのかご存知か?」

「それは『大地の神殿』のことですかな?」

 バース神父の言葉にアルは首を縦に振る。

「…この神殿には、古き大地の神が遣わした使者を奉っている神殿を見守り続けるために作られたという伝承はあります」

「古き大地の遣わした使者…か」

「具体的なことは私も知りません。この神殿にはいくつかそれらに関係しそうな書物がいくつかありますので、後でご覧になられますかな?」

「…ああ。それと、『大地の神殿』への道と『大地の神殿』内部の地図があるとありがたいのだが」

「ああ、それはそうですな。しばらくお待ちくだされ」

 言ってバース神父は部屋を出て行き、しばらくしてから戻ってくる。

「『大地の神殿』の内部はこちらの羊皮紙に、道中はこちらに簡易ながら私が書いてみました。一本道ですし、歌姫も一緒ですから迷うことはないでしょう」

 バース神父はやや古びてよれている羊皮紙と、新しい羊皮紙とをアルに手渡す。アルは中身に軽く目を通して荷物のなかに仕舞い込む。

「伝承などの書かれた書物は持ってきておりませんが…お読みになられますかな?」

「いや、それは明日にしよう。今日は村を回ってから身を休めるとする」

「そうですか。それではまた明日に」

 胸の前で十字を切って祈るように頭を下げるバース神父に小さく礼をしてアルは神殿を後にした。

 

 リュミスはサラと澄霞を連れて『森林亭』へやってきていた。

 神殿と同じようにやや…というよりはかなり年季が入っているように見えるが、作り自体はしっかりしている。また、レンガ造りの家の多いラインの街並に親しんだリュミス達からしてみれば木造家屋は新鮮でもある。

「まあ、こういうのも情緒があっていいわね」

 コンコンとリュミスが柱を叩く。

「ゼロス、歌姫の前では行儀よくな」

「言われなくても…分かっている」

 その後ろからオリヴィエとゼロスが会話をしながらやってくる。

 一番乗りしようと『森林亭』の入り口に駆け寄ったサラは扉を開ける前で足を止めて耳を動かす。

「どうしたんですか? サラちゃん」

「んー、声…いや歌かな? が聞こえるー」

 サラに言われて澄霞も耳を澄ませてみると、伴奏などはないが澄んだ女性の歌声が確かに聞こえてきた。

「宿の中から…ね」

 リュミスがそう判断して『森林亭』の扉を開く。

 中は『憩いの羊亭』と比べてかなり広く、冒険者用の頑丈そうで無骨なテーブルと椅子ではなく、木の味のあるテーブルや椅子が並んでいた。それらに腰を掛けている人たちの視線はほとんど一方に向けられている。扉をくぐったリュミス達もそれに倣って視線を向けると、ちょっとした段になっている舞台のような場所で1人の女性が歌っていた。

 まだ幼さを残した女性は歌い終えて、拍手と歓声を向けられて頬を少し赤く染めながら舞台を下りる。そこでようやく入ってきたリュミス達に気がついたのか、女性は誰も座っていない椅子の背もたれに掛けてあったエプロンを慌てて身に着けて、様子を黙って眺めていたリュミス達の方にやってくる。

「あの…ごめんなさい。私、歌を歌いだすと周りが見えなくなっちゃうんです」

 女性は両手をエプロンの前で組んで深々と頭を下げる。

「別に構わないわ」

 リュミスは女性を一瞥し、周りに視線を巡らせる。中にいた大勢の客もやってきた冒険者達に興味があるのか視線を入り口に向けていたが、リュミスと視線が合うなり目を逸らして同じテーブルの人との会話か料理に戻る。

「ね、ね。今歌ってたのなーにー?」

「この土地に昔から伝わる古い歌です」

 はにかみながら女性はサラの疑問に答える。

「それより部屋はあるかしら? バース神父に言われてここに来たのだけれど」

 店内を一通り見渡し終えたリュミスが女性に向き直る。

「神父様に? じゃあ、神父様が仰っていた護衛の冒険者様というのは…」

「私達のことですね」

「そうだったんですか。私、今回のお祭りで歌姫を担当させていただいている…アンナ、と言います。不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」

「えっと…こちらこそよろしくお願いします」

 深々と頭を下げるアンナにつられて澄霞も頭を下げる。

「ほう、あなたが歌姫様ですか」

 その澄霞の横に後ろで少し様子を見ていたオリヴィエが歩みでてくる。

「先ほどの歌、少しだけですが聞かせていただきました。大変良い声をお持ちだ。いい声…いえ、いい歌が聞けそうです」

 そういってオリヴィエはアンナの前で膝を折り、アンナの手を取って甲に軽く口付けをする。その様子を見ていた店の中の客がからかうように口笛を鳴らすが、オリヴィエは無視してアンナの瞳を見上げる。

「歌姫様の護衛はお任せください。未熟者ながらもこのオリヴィエ、歌姫様に傷ひとつつけさせないよう全力を尽くさせていただきます」

「え…えっと…あの、あ…ありがとう…ございま…す」

 顔を真っ赤に染めて、アンナはオリヴィエの言葉を受ける。恥ずかしいからか、アンナの言葉はだんだんと消え入るように小さくなっていく。オリヴィエは立ち上がってアンナから一歩距離をとる。

「確かに歌姫というのも納得。これは…いい仕事になりそう」

「そーぉ?」

 そんな様子を後ろから眺めて頷くゼロスに対して、サラはなんとなく首を傾げる。そのなんとなく、の根拠を探すべくほんの少しだけ思考を巡らせようとして…すぐにサラは諦め、真っ赤になってうつむいているアンナの服の裾をくいくい、と引っ張る。

「おねぇちゃん、温泉温泉〜」

 それでようやく我に返ったのか、アンナは顔を上げて

「あ…と。は、はいっ、こっ…こちらになります」

 スカートの端をひるがえしてアンナは振り向いて、早足に宿の奥のほうに歩いていく。

「わーい、一番のりー♪」

 両腕を万歳するように上げて、サラはスキップしながらアンナの後を追いかける。

「あの…私も先に温泉行ってきていいですか?」

 控えめに澄霞が手を上げたのを見て、ゼロスが首を縦に振る。

「部屋の手続きはこっちで済ませるから、先に入ってくるといい」

「じゃあ、お願いしますね」

 軽くゼロスに頭を下げ、澄霞はアンナとサラの後を追う。その足取りが軽く見えるのはゼロスの気のせいではないだろう。気がつけばリュミスもすでにいなくなっているが、間違いなく温泉の方へ向かったと思われる。

「で、どうすればいい」

 ゼロスがカウンターの向こうに声を投げかけると、黙って見ていた初老の男が台帳を差し出してきた。