特に事件という事件も起きずに、大地の大祭も最終日を迎える。

 アルは念の為に、とアンナの近くには常に誰かがいるようには配慮していたのだが杞憂に終わったようで安心する。

 ただ、大祭の時期に入ってからというもの、地震が多くなっている。ラインの街ではそうそう起きるものではないので特にサラが騒ぎ立てたが、村の人からすれば大祭の時期は毎回こうなのだという。

 各々アンナと一緒にいたり、真新しいものに目を奪われながら大地の大祭を楽しんでいたが、伝承が気になるのか、アルは大祭の期間中も神殿にある書物庫に入り浸って何冊もの本を読み解いていた。

 そして夜。祭りの締めとなる儀式が神殿で執り行われだす。

 サラス村の人全員が神殿に集い、舞いや歌を披露していく。バース神父が言うには交替で夜明けまでこれらは続けられ、夜明けと共に歌姫が大地の神殿に向かうことになっているらしい。

「とはいえ、何やってるのかよくわからないですよね」

 儀式の様子を見やすい席に陣取って眺めながら、祭りの最中で買ったりんご飴を両手いっぱいに抱えて食べていた澄霞がぽつりと呟く。

 台を置いて周りより高くなっている舞台のような場所の上で、今は2人の村人が演劇のようなものを行っている。

「奉納として意味のありそうなものから、ただ騒いでいるようなものまで、色々のようだな」

 ひそひそと何やら密談を交わしているオリヴィエとゼロスを横目に見ながらアルは嘆息する。

「私たちの出番は最後だから今のうちに仮眠を取っておくべきね」

 やはり祭りの最中に買ったであろう、たこ焼きを串で口に運びながらリュミスは言う。

「それはそうだな。しかし…」

 アルはいまだやり取りを続けている儀式から視線を逸らして、他の皆の様子を見る。澄霞は両手いっぱいにりんご飴を抱えているし、サラも飴を分けてもらって食べている。リュミスは食べているのとは別にまだたこ焼きを何皿か持っているし、少し離れた場所でひそひそと話をしているオリヴィエとゼロスの近くにも焼きイカや焼きソバが並んでいる。

「…祭りを満喫したようだな」

「アルもくればよかったのにー。銃みたいなの使って景品取るゲームとかもあったのにさー」

 飴を食べ終えたのか、今度はリュミスのたこ焼きを分けてもらいながらサラがアルの方を振り向く。

「伝わっている伝承や残されている色々な文献を調べるほうに時間がかかってな。見て回るくらいはした」

 何か言いたそうにサラはアルをじっと睨むが、結局何も言わずに視線を逸らしてリュミスのたこ焼きを次々と口に運んでいく。

 お手上げ、と言わんばかりにアルが肩をすくめていると、バース神父がアル達のほうにやってくる。

「おお、こちらでしたか。祭りのほうは…楽しんでいただけたようですな」

 アル達の周りに置かれてある物を見てバース神父は胸を撫で下ろす。

「何か用件でも?」

「いえ、寝所の準備が出来ましたのでお呼びに。明日は早いですからお休みになられたほうがよいかと」

「わざわざバース神父がくるなんて、手が足りない?」

 リュミスが何と無しに言った言葉にバース神父は困ったように笑みを浮かべる。

「まあ…儀式もありますからな。それと、明日の確認も今のうちに済ませてしまおうというわけです」

「確認といっても…歌姫、えっとアンナさんを『大地の神殿』の奥に連れて行くだけですよね?」

 りんご飴を咀嚼していた澄霞が挟んだ言葉にバース神父は頷く。

「ええ、その通りです。まあ当然、無事に連れて帰ってきていただくのも含まれますが」

「了解している。無事戻ってきてこそ儀式は終了するのだからな」

 アルはバース神父の言葉で小さく舌打ちをしたオリヴィエとゼロスに視線を向けて、すぐに戻す。

「歳を取ると心配性になってしまいましてな。明日はどうかよろしくお願いいたします。それでは私はこれで」

 胸の前で十字を切って、バース神父は軽く一礼すると神殿の外へと出て行く。

「心配性…か。まあ、気持ちは分かる」

 アルは横でリンゴ飴の串に齧り付いていたシアの喉元を撫でる。シアは齧っていた串を食べ終わって空っぽになっている皿の上に置くとバース神父の後を追うように神殿を出て行った。

「何か…心配事?」

 シアを視線だけで見送ったリュミスがアルにたずねる。

「いや、この儀式の間に何かがあっては困るのでアンナ嬢にシアをつけただけだ」

「村の中では何も起きないと思うわよ? 依頼が依頼だし」

「確かにアンナ嬢が狙われているとかの類ではないがな。心配性、というやつだ」

 言いながらアルは皆が食い散らかした皿を集めて一箇所に重ねていく。

「きっと無駄よ?」

 たこ焼きの最後の一個を口へと運び、アルが集めているところに皿を放り投げる。陶器製の皿がぶつかり、乾いた音を立てた。

「心配は無駄に終わるのが一番良いと思うが?」

「…それもそうね。それじゃ宿へ戻りましょ。ほらサラ、起きなさい」

 リュミスはたこ焼きに串を刺したまま舟を漕いでいるサラの頬を手の平でペチペチと叩く。

「オリヴィエ、ゼロス。体は休めておけよ」

「…ああ、分かってるさ」

 オリヴィエとゼロスが頷くのを確認して、アル達は宿屋へと戻っていった。

 

 夜も更けて、皆が寝静まった後の『森林亭』の廊下を誰かが足音を極力殺しながら歩いていく。特別な修練などは何も積んでいないのだろう。時々、踏んだ途端に床板が軋む。そのたびに人影は足を止め、しばらく経ってからまた歩き出す。

 壁に手をつけることなく、夜の闇を苦にもせず、人影は目的の扉の前にたどり着き、音を立てないように体を横にすれば通れるくらい扉をそっと開いて、身を滑り込ませる。

 どうせもう一度通らなければならないからか、扉を少し開いたまま、人影は慣れない忍び足で緊張した精神をほぐすために深呼吸をする。

 人影が気分を落ち着けて周囲を見渡すと、すでにそこには先客がいた。

 僅かな月明かりに鈍く照らされるハーフプレートに顔を隠すかのようなフルフェイスヘルム。腰には小振りの剣を挿している。それにも関わらず、人影を確認するように動いたときにほとんど音がしなかったのは鎧の方に仕掛けがあるのか、それとも本人の力量なのか。

 人影は先客にほとんど密着するかのような距離にまで近寄り、何度か言葉を交わす。

 しばらくそうした後、人影は先客から離れる。先客が音も無く頷いたのを確認してから、人影はまた来た道を忍び足で戻っていく。

 今度はきっちりと扉が閉められた。

 

 東の空が白やんできた頃に、アルは1人ぼんやりと『森林亭』一階のテーブルについていた。窓から見えた神殿の方は篝火を焚いているのか、薄暗い辺りの中で一際明るい。その神殿の方を眺めながらアルは時々テーブルを指で叩きながら物思いにふけている。

 ふいに音も無く入り口の扉が開かれる。視界の端に映ったのか、アルが扉の方を向くと入ってきたのはリュミスだった。

 リュミスは入ってきたときと同じように音を立てずに扉を閉め、中にいたアルに気付いてテーブルの横まで歩いてくる。

「おはよ。早いのね」

「早くに目が覚めてしまってな。リュミスは散歩か?」

「似たようなものね」

 リュミスがテーブルについて、そこで会話が途切れる。アルは神殿の方を向いて考え事に戻り、リュミスはすることが無いのかテーブルに肘をついてアルを眺めている。

「おはようございます」

 静謐な空気を乱したのは2人以外のもう1人の声だった。アルが顔を向け、リュミスが物憂げに少し首を動かして視線だけを向けた先にはアンナがいた。昨日までの着慣れていた動きやすそうな服とは違い、見た目の綺麗さを求めたような動きにくそうな服を着ていた。おそらくは儀式の衣装なのだろう。

「御2人とも早いのですね。儀式まではまだ時間がありますから、先に朝食をとっておきますか?」

 アルが頷くと、アンナは服の裾を辺りに引っ掛けたりしないように気をつけながら厨房へと入っていく。

「はう…気持ち悪い…です」

「僕、まだ眠いんだけど…」

 アンナが厨房で朝食の準備をしている間に澄霞とサラがよろよろと入ってきた。その後ろからオリヴィエとゼロスも何やら小声で話しながらやってくる。

 丁度全員揃ってから、アンナが厨房からおにぎりの大量に乗った皿を持って出てきた。アルのいるテーブルの上にそれを置く。

「おはようございます、皆さん。朝食は手軽に食べれるようにおにぎりにしてみました」

「ありがとう、朝から大変だね」

「い、いえ。毎日の仕事…ですから」

 オリヴィエに褒められて、アンナははにかみながら少し顔を伏せる。

「パンも悪くは無いですけど、やっぱりご飯ですよね」

 たわらに握られたおにぎりを「いただきます」と小さく言ってから澄霞が口に運ぶ。他の皆も手を伸ばしておにぎりを食べだす。たわらや三角に形の整えられたものが半分、残りは作った人が違うのか形が崩れていたり丸だったりしている。

「うん、美味しい。任務でも力が出せそうです」

「おにぎりくらいはまともに作れるようになったほうがいいわよ?」

「個性的な形状…。ある意味芸術的かも?」

「見た目は食欲に関わるが、栄養としては変わらんさ」

 口々に感想を言いながらおにぎりを食べているいくと、サラが硬い触感と口に広がる独特の味からおにぎりの具を吐き出す。

「うぇ〜。なんでおにぎりにニンジンが入ってるんだよー」

 サラのおにぎりに入っていた具を見て、ゼロスが形の崩れたおにぎりのご飯を少し齧って中の具を確認する。

「…いちご」

 ヘタのついたままのいちごを中から取り出して皿の上にだす。

「あ、これ美味しいです」

 全員が少し眉をひそめている中、形の崩れたおにぎりを食べていたアンナが幸せそうな笑顔を浮かべる。一体何の具が入っていたのか気になったサラがおにぎりの具を覗き込んで露骨に顔をしかめる。

「ね…ねえ、サラちゃん。一体何が入ってたのかな?」

「あー、うん。えっとね…」

 怖いもの見たさからか澄霞が聞くと、サラは澄霞の耳元で何かをささやく。途端、澄霞は顔色を変えて耳を押さえながら頭を振り出す。

「聞かないほうがよかった…ってやつね」

 リュミスの言葉に同意するように澄霞は何度も頷く。

「そうなると…形が崩れているものがハズレか?」

 アルが呟きながら三角に握られているおにぎりを齧ると、砂を噛んだ様な音がしてアルは吐き出しそうになりながらも懸命に口にした分だけは飲み込み、すぐにテーブルの上にあった水を1口飲む。

「塩の塊入り…か」

 さすがに食べれないのかアルは皿の上に1口齧っただけのおにぎりを戻す。

 とはいえ元々妙なものが入っていたおにぎりは少なかったのか、もうほとんどおにぎりは残っていない。

「あれ? 皆さんもう召し上がらないのですか?」

 全員の手が止まっていることに気付いてアンナが首を傾げる。

「ええ、食は細い方なの」

「えー、リュミ姉って…ぐぇ」

 何かを言いかけたサラの喉をリュミスが右手で握る。

「そうですか…。ちょっと張り切って作りすぎたみたいですね」

 少し残念そうにアンナは肩を落とす。

「あ、そうです。お祭りの最中に珍しい飲み物を頂いたのですけど、皆さん飲んでみますか?」

「珍しい飲み物?」

 おにぎりを食べるべきかどうかで迷っていたゼロスがアンナの方に顔を向ける。

「はい。なんでもルディオン山脈で採れる豆の飲み物らしいのですけど…」

「飲む」

 アンナがみなまで言う前にゼロスがしっかりと頷く。

「そ、そうですか。それじゃあ、他の皆さんの分も淹れてきますね」

 ゼロスの様子に気圧されながら、アンナは厨房へと入っていく。

 しばらくしてアンナは人数分の陶器製のコップと湯気の立ちのぼるポットをトレイに乗せて戻ってきた。そして陶器製のコップをテーブルの上に並べ、ポットに入っていた黒い液体を注ぎ分けて全員にコップを渡す。

「香ばしくていい香りですね」

 渡されたコップの縁に鼻を近づけて匂いを嗅いだ澄霞が安堵したように言う。

「はい。ただ…慣れないうちは美味しくないかもしれませんけど」

 苦笑いを浮かべて、アンナは自分のコップに口をつける。澄霞は首をかしげながらもコップの中身に息を吹きかけて少し冷ましてから口をつける。

「んっ…!」

 液体を口に含んだ瞬間、澄霞は口元を押さえ、涙目になりながらも懸命に飲み込む。

「なん…です、これ」

 酷く辛そうに澄霞はアンナに尋ねる。

「コーヒーって言う飲み物らしいです。やっぱり苦いですよね」

「…この苦みが分からないうちはまだまだ子供」

 澄霞の様子を尻目に見ながら、ゼロスはポットからお代わりを勝手に注ぐ。サラが躍起になって自分のコップのコーヒーに口をつけるが、1舐めするだけですぐに口を離す。

「うぇ〜、なんでこんなの平気で飲めるんだよー。味覚おかしいよー」

「砂糖とミルクでも入れれば飲みやすくはなるぞ」

 言って、アルは空にしたコップをテーブルの上に戻す。

「それなら最初からミルク飲むよ…。僕、子供でいい…」

 サラはテーブルに乗せているコーヒーの入ったコップを両手を使って自分から遠ざける。ふと見れば澄霞が舐めるようにコーヒーを減らしている。

「あれ? 澄霞姉飲めないんじゃ…」

「らにいってるんれふか」

 焦点の定まっていないとろんとした瞳で微笑を浮かべながら澄霞はサラの方を向く。

「わらひがろめあいにゃんですか」

「す、澄霞姉が壊れたっ!」

「ほわえてはいです。ろろへになーにぅ・・・」

 わけの分からないことを口走り、澄霞は音を立ててテーブルの上に倒れこむ。

「…大丈夫? 澄霞?」  リュミスが澄霞を抱き起こしてみると澄霞はすやすやと寝息を立てている。

「……ええと?」

 助けを求めるかのようにリュミスが皆を見渡すが、全員が困った様子で視線をそらした。

 

「…起きないわね、澄霞」

 サラスの神殿での儀式を終え、アンナを連れて陰の森にあるという『大地の神殿』へと向かう道中、あれから眠りこけている澄霞を背負ったまま歩いていたリュミスが呟く。

「コーヒーで酔う、というのもおかしな話だが…。覚醒作用の刺激が強すぎたか?」

「刺激が強すぎたから自己防衛のために気絶、というか睡眠?」

「澄霞姉はあのにっがいコーヒーで酔っ払う珍人種なんだよっ」

 少しだけ真面目な表情で話すリュミスとアルに笑いながらサラが言葉を挟む。

「酷い言われようだ」  先導するアンナの横について歩いているオリヴィエが小さく呟く。

 リュミスとサラはそのまましばらく話しながら歩き、ふいに会話を切ってサラとリュミスが辺りを見渡す。

「リュミ姉っ」

「そうね、囲まれてるわ」

 リュミスが澄霞を地面に下ろし、横たえようとするところにアルが背負い袋を置いて背もたれ代わりにする。

「アンナは澄霞の近くにいて。そのほうが楽だから」

「は、はいっ」

 いきなり立ち止まられて、どうしたらいいのか分からずに右往左往していたアンナがリュミスに言われたように澄霞に駆け寄る。

 周囲の茂みが揺れ、草の擦れ合う音がする。徐々に草の揺れが大きくなり、青々とした深い緑色の背の高い草を掻き分けて灰色の毛並みを持った狼が何匹も現れる。狼はアル達を取り囲み、包囲の輪を少しずつ狭めていく。

 アル達も武器を抜き、どちらが先に仕掛けるか牽制している張り詰めた空気の中で、いきなり澄霞が起き上がって一番近くを取り囲んでいた狼の横顔につま先をめり込ませた。

 蹴られた狼は見かけに似合わず小さな悲鳴を上げて吹き飛び、木の幹に首からぶつかってそのまま動かなくなる。

「サラちゃんがいっぱい…」

 狼を蹴り飛ばした元凶の澄霞はおぼつかない足取りで立ち、辺りを見渡す。

「…酔ってる?」

「しっかりしてよ、澄霞姉!」

「むぅ、失礼な。しっかりしてますよ! サラちゃんこそなんですか、そんなに増えて」

 サラの言葉に反応して、澄霞は狼の群れに指を突きつける。突き出されたその腕めがけて狼が飛び掛り、口を開いて噛み付こうとする。

「わっ」

 普段からしてみれば異様な反応で咄嗟に手を引いたおかげで狼の牙は澄霞の服の袖を引っ掛けただけに留まる。

「サラちゃん、行儀悪いですよ! そんな子にはおしおきが必要です」

 再度指を突きつける澄霞の動きにあわせて、オリヴィエが呼び出した竜の幻影が狼の群れを爪でなぎ払う。包囲が崩れてバラバラになった狼をサラ、ゼロス、リュミスの3人が各個撃破することで早々に狼は追い払われる。

「ああ。サラちゃんが粉々に…。ごめんね、サラちゃん」

 追い払った後、ゼロスが切り伏せた狼の死体を澄霞はやさしく撫でながらそんなことを口にする。

「しっかりしてよ、澄霞姉!」

「はぅ…」

 撫でていた狼の死体の前で膝をついて祈る澄霞の首筋をサラは手刀で叩いて気絶させる。

「せっかく起きたのにまた気絶させてどうするの?」

「だってあのままじゃ面倒なことになる気がしたんだよ…」

 サラがぼやくように言った台詞に対して、リュミスはしばらく考えたあと重々しく頷く。

「…夢だったということにしておくか」

 アルの提案に全員が首を縦に振った。